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 2 バランス

 駅のホームで、やたらとべたべたしている一組のカップルが目についた。人目も気にせず別れを惜しんでいる。
「今度はいつ会える?」
 猫のように甘える女。再来週には、と男性が答えると女は男の胸に顔を埋めた。そのまま無視すればよかったのだが、女と目が合ってしまった。私は、あ、と思わずつぶやいてしまう。
 女性は小悪魔のような笑みをのぞかせた。背中に悪寒を感じる。やばい。変なものに引っかかってしまった。私はそそくさと電車に乗り込むと、遠く離れた先頭車両に向かった。こんな事で逃げられる訳ではないのだが。
 確かにあれは美希だった。
 美希は高校時代の同級生だ。彼女は品行方正を絵に描いたような美少女だった。先生からの評判もよく、生徒会長も務めていた。勉強も運動も出来ながらも人に媚びないやさしい性格で、慕う人は多かった。女子校だったことが更に発車をかけ、後輩からはお姉様と呼ばれていた。そのお姉様が男に甘えているとは。
 電車が動いて数分後、私の隣に美希が座った。BGMを背負うならさしずめ「ダースベーダーのテーマ」といったところか。
「こんな所で咲と会うとは思わなかったわ」
 先ほどの小悪魔はそこにはいないが、私の第六感はまだピリピリしている。
「美希も元気そうね」
「おかげさまで。すごいところを見せちゃったかしら?」
「いや。」
 私が思ったよりショックを受けなかったのは、昔から彼女を客観的に見ていたせいかも知れない。正直、苦手な部類だった。疑り深い性格だからかもしれない。優しくて完璧な人間ほど、裏があるとしか思えないのだ。彼女は忘れた頃に私に絡んでくる。偶然とはいえ、高校の時からそうだった。
「まあ、バランスってのも必要なんじゃない。優等生ぶるのも疲れるし。正直、こっちの方が人間らしくて安心する」
 美希がふっと笑みをのぞかせた。
「やっぱり咲だけね、私の本性を見抜いていたのは。咲は私のこと嫌いだろうけど、私は大好きよ」
 何か怪しげに聞こえる。思わず、やめてくれない、と言ってしまった。
 車窓から見える田園が徐々に黄金色を帯びていく。駅に着くころには一面が夕焼けに覆われるだろう。
 美希はコンパクトを取り出すとメイクを直し始めた。その間美希は自分のことを語る。さっきの男は仕事で知り合っただの、妻子持ちだから仕事を装って会っているだの。私が聞きたくなくても、美希は一方的に喋ってくれる。その時の美希は生き生きとしているから不思議だ。最初からそのままでいればいいのに。
 コンパクトを閉じる音。口紅を引き終えた彼女は穏やかで意志の強い顔に変わっていた。ふわふわと漂っていた髪はきっちりと一つにまとめられている。電車がホームに入った。
 駅の外に出ると空色のワゴンが止まっていた。美希にそっくりの小さな女の子が一目散に走ってくる。その後ろには男性が男の子を抱いてこちらに向かって歩いていた。彼女もまた、二児の母だ。
「ただいま。お父さんの言うこと、ちゃんと聞いていた?」
「うん」
「お疲れ様。急な仕事で大変だったな」
「迎えありがとう。電車で高校の友達と会ったの。家まで送ってあげたいのだけど、いいかしら?」
 美希の旦那は快く引き受ける。美希が振り向きざまに微笑んだ。高校の時と変わらない穏やかな微笑。
 バランス、か。
 私は凝り固まった首をぐるん、と回した。

               
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