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ヒガシの「ハレ」はニシの「ケ」(文化祭編)


16 まさか、あの話にこんな裏があったとは

 下へ降りる梯子は延々と伸びている。その深さは半端なく、ちょっとでも踏み外したら怪我どころかあの世に行ってしまいそうな勢いだ。だから私は慎重に一段一段を降りて行った。
 数十段を超えると外の灯りはほとんど見えなくなり、全てが闇に覆われる。梯子の周りはレンガの壁でぐるりと囲まれてしまっているため、ここが何階なのか、まわりで一体何が起きているのかが分からない。
 やがて長い梯子がぷつりと途絶える。地面に足がついたところで、兎はようやくマスクを外した。腰につけていた懐中電灯を手に取りスイッチを入れる。小さな灯りに映し出される顔はやはりというか何と言うか。すっかり見慣れてしまったこの顔に私は思わず苦笑を浮かべてしまう。
「どうした?」
 首をかしげるニシに私は何でもない、と返した。被っていたマスクを剥がしてふう、と一息つく。髪を整えて振り返ると、ちょうどニシが大きな紙を広げていた。
「ここは何?」
「この家の者しか知らない地下道だ。屋敷の外に繋がっている。もとは戦時中に使われていた防空壕だとか」
「こんな場所よく知ってたわね。あの女に聞いたの?」
「いいや。この家を訪れること自体が初めてだ」
「え?」
「ヒガシを救出するにあたってこの家の設計図を買ったんだ。これはヒガシを助けるのに一番必要なものだったからな。ニシ家のつてをたどって、無茶を言って手に入れた」
「そうなんだ」
「ここに来るのもかなり大変だったんだぞ。一度家に帰ってわざわざ変装して抜けだして――全く恥ずかしいったらありゃしない」
「へー……ぇ」
 女子の制服を着たまま愚痴をこぼすニシに私は間延びした声をあげてしまった。攫われた時点であまり期待はしてなかったけど。でもニシが助けに来るなら自分の護衛たちを使うんじゃないかと思っていたのだ。だから目の前に当人がいることにかなり驚いている。
 どうして来たのと聞いてみたかったけど、きっと勘違いした答えが返ってきそうだから、そのへんは割愛しとこう。
 図面とにらめっこをしていたニシがこっちだ、と言ったので私はついていく。狭い通路をひたすら歩いた。屋敷の中もそうだったけど、この地下道もかなり複雑だ。しかも足元が悪くてつまずきそうになる。
 しばらく歩くと、反対側に小さな光を確認した。近づく足音。光は徐々に大きくなってくる。懐中電灯をもったままニシなの? と聞いてきたのはウチの高校の制服を着た――兎の仲間だ。
「あ、ナノちゃんだ。ってことは救出成功したんだね」
 その声に中身の人間が久実だと私はすぐに気づいた。
「こっちは上手くいったよ。花火はあんな感じに使ってよかったかな?」
「上等だ。斉藤らはどうした?」
「あいつらなら心配ないよ。もともと逃げるのが得意なヤツばっかだし。むしろ楽しんでた気がする」
「それは頼もしいな」
 久実の報告にニシがふっと笑う。突然斉藤くんの名が出てきたから私は疑問符がいっぱいだ。そんな私に久実はにやりと笑う。詳しい事はまたあとでね、と言われてしまった。
「それにしても。意外にあっさりと屋敷の中に入れたね。セキュリティ、もっと厳重かと思ったのに」
「こういった脱出路はアナログな方が有効なんだ。緊急時はもちろん、もろもろの悪事を隠すのにも抜け道は必要だし。そんなのに監視システムをつける必要はない」
「なるほどね」
「確かに巽家の情報の早さはニシ家を凌ぐものがある。しかし対処と真実性に乏しい。だからいつまでも国内止まりのままなんだ。ITで世界を牛耳るならそのへんから対処しないと」
 財閥の御曹司らしい台詞に久実は肩をすくめた。
「そりゃごもっともな意見だね。で、一つ聞きたいんだけど」
「何だ?」
「ここにある扉は何なの?」
 久実は地下道の壁にぽっかりと浮かぶ扉を指で示した。ニシが設計図を広げる。紙の一点を指でたどったあとでふむ、と唸る。
「この先は巽芹華――あの女の寝室のようだな」
「え?」
 こんな地下に寝室? なんで?
「普段は家の最上階にあるんだが緊急時は部屋ごと地下に沈むようになっているらしい」
 ニシの説明に私はぽんと手を叩いた。なるほど、地震の正体はそれだったんだ。
「設計図を見ると部屋の壁も防音仕様になってる。もしかしたら――今外で何が起きてるかもわからないのかもしれないな」
「まさに箱入り娘って?」
 久実の冗談に私とニシは顔を見合わせる。同じことを想像したのか、お互いに苦笑が広がった。
 ニシがドアノブに手をかける。扉には鍵がかけられてないようで、私たちはあっさりと部屋の中に入ることができた。中は照明が落とされていて、とても静かだ。
 私は暗闇に目が慣れた所で室内を注意深く観察する。部屋の手前にはドレッサーと机が置かれ、中央の壁際に天蓋のついたベッドがある。私たちが入ってきた扉もぱっと見は年季の入ったクローゼットの扉にしか見えない。見事なカモフラージュだ。
 机の上で何かがちかちかと光っていたので、私はそれを手にした。自分の手のひら位の長方形は触るとやけにしっくりくる。それは私が新しい携帯を「これ」に決めた瞬間に等しくて、指を滑らすと見覚えのある待ち受け画面が迎えてくれる。
 一方、久実はベッドにそっと近づくと、天蓋のカーテンに手をかけていた。柔らかそうな布団に女の人が眠っている。久実を追いかけた私は見たことのない顔に誰だこれ、と聞いてしまう。今度は久実とニシが顔見合わせる番だ。
 しばらくしてニシのなんとも言えぬ表情が私に映る。
「だから言っただろう。ここはおまえを攫った女の部屋だと」
 ええと、それはつまり――
 私は与えられた情報を元に思考を巡らせる。全てを理解した瞬間、大声で叫びたい衝動に襲われた。
 だって、額は広いわまつ毛は短いわ、目に対して鼻がやたらでかいし――
 つうか、あの顔は作りものだったってこと?
「素っぴんがこんなだなんて、とんだ化け物よね」
 呆れた顔をした久実が持っていたデジカメで女の寝顔を撮る。シャッター音で起きてしまうんじゃないかと思ったけれど、縦巻き女は深い眠りについていて、ぴくりとも動かなかった。どうやら寝つきはかなりいい方らしい。
「ナノちゃん、ちょっと枕をどけてこの女の頭支えてくれる?」
「なんで?」
「いいから」
 せかす久実に私は仕方なく動く。女の頭を両手で抱えると、久実は自分がつけていたマスクを女の顔にかぶせた。すぐに脱げないようマスクと服の間を安全ピンで繋ぎとめてから枕を戻す。くすくすと笑う久実はとても楽しそうだ。
「予定とはかなり違っちゃったけど、まぁいいわ。明日どんな顔で学校で来るのかが楽しみー」
「久実が言ってた明日来る客って――?」
「そう。本当なら『これ』で驚かせるつもりだったんだけどねー」
「……この人、兎が駄目なの?」
「らしいな。調べによると小さい頃、英国にいる祖父母にかの物語を延々聞かされてトラウマになったとか」
「ナノちゃん知らない? あの兎すっごい可愛いけど話の内容はかなり残酷なんだよ。主人公のお父さんは人間に捕まってパイにされちゃってるし。あとは団子にされかけた子猫の話とか?」
 久実の解説に私はうげ、と言葉を漏らした。まさか、あの話にこんな裏があったとは。
 私は兎面の寝姿をまじまじと見つめる。この女が起きた時にどんな騒動が起こるのかを想像したらこっちの顔もにやけてきた。
 この女には散々な目に合ったし、色々言いたいこともある。できるものなら平手の一発でもお見舞いしたい所だ。
 でも――
 私は隣りにいる久実とニシをちらりと見る。二人の――いや、みんなのおかげで助かったのは紛れもない事実。それにこんな奇妙なお土産を置いてくなんて。
「ま、いっか」
 私は肩をすくめて諦めた。行こう、と二人を促す。
 明日は待ちに待った文化祭だ。ここに来るまで色々あったけど、今はゆっくり体を休めなきゃ。
「良い夢を」
 私は眠り姫に囁きくるりと踵を返す。部屋をあとにした私たちは再び地下道に戻った。
 数分ほど歩いたあとで石階段を登り最後のドアを開ける。錆ついた扉の向こう側に見えたのは大きな満月だ。その美しさに思わず目がくらむ。
 地上では斉藤くんたちが私たちの帰還を待っていた。だけど彼らの表情はどこか神妙で――その理由は後ろにいるいかつい人達のせいなのかもしれない。それは数にして二十ほどだろうか。
 あっという間にニシは黒づくめの人達に包囲される。これはあの女の手下に捕まったわけじゃない。彼らはニシの護衛で、家を抜けだした主を迎えにきたのだ。
「晃さん、一人で家を抜けだすなんて――無茶をするのもいい加減にしてください、それにその恰好……」
 お付きの人の声にニシは大したことない、とつっぱねた。そのままお付きの車に連行されていく。その結果、私は何も言わずに、ニシと離れ離れになってしまったのである。

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