翌朝、あいりが署に出勤すると早速署長室に呼ばれた。
一抹の不安を抱えながらあいりが署長室に向かう。すると廊下でご機嫌顔の甲斐と出くわした。
「もしかしたら昨日のことですかねぇ?」
甲斐はうきうき顔だ。どうやら甲斐は犯人逮捕をしたことについて褒められるかと思ったらしい。
でも世の中そんなに甘くない。
予想通り、署長室では鬼顔の署長が待っていて、あいりと甲斐は一喝された。理由は言うまでのない。事件になりそうな案件をすぐに上司に報告しなかったからだ。
全くおまえらは、と毒を吐く署長にあいりと甲斐は肩をすくめる。
甲斐と別れ、刑事課に戻ると今度は仏頂面の上司に出くわした。このぶんだと警察は拉致監禁の容疑で送検の手続きを進めることだろう、と厭味ったらしい報告を受けあいりの背中が更に丸くなる。
その後あいりは上司の命令で事件の後始末を命じられた。
調書作成のためあいりはアキの元を再び訪れる。アキは保護されたあと検査のため入院していた。
昨日よりも顔色が良くなったアキはあいりの質問にとつとつと答える。
推理通りアキはtooyaのタッチや癖を熟知していて、完全にコピーできる才能を持っていた。
店で問題を起こした後は長島を説得するためにあの家を訪れ、地下に閉じ込められたらしい。あの家の地下室は携帯の電波が届きにくく、アキはなんとかして電波を拾おうと携帯を窓の外に突き出したが手を滑らせ携帯を落としてしまったそうだ。
白鳥たちは最初、アキを殺すつもりはなかったらしい。その証拠に食事は一日一回長島が届けていた。だがそれも最低限のものでしかなく、特に水分が足りなかったとアキは振り返る。
アキは脱水症状を避けるために見張りの残した酒を舐めることで凌いでいた。でもそれは下戸のアキにとって相当辛いもので甲斐がドライエリアに居た時は、人の気配を感じていたが酒のせいで意識が半分飛んでいたのだという。
アキの証言は上司から聞いた白鳥や長島の自白と概ね一致していた。
アキは保護した直後は憧れのアーティストや自分の才能を認めてくれた男に裏切られたことにかなりショックを受けていたようだ。だがあいりが訪れた時アキは音楽はやめないとはっきりと言った。今度は自分の音で勝負するらしい。アキの真っ直ぐな瞳を見てあいりは安堵した。
署に戻ったあいりは調書を綴る。書き終え、上司に提出すると時刻はお昼を回っていた。
あいりは警務課を訪れ、甲斐をお昼に誘う。もちろん昨日のお礼だ。奢るからの一言に甲斐は尻尾を振ってついてきた。
いつものように署の近くにある行きつけの店を訪れると、衣咲が早速あいりの腕に飛びついてきた。
「おねーさまっ、アキちゃんは?」
真剣な目で訴える衣咲にあいりは無事見つかった旨だけを伝える。
「本当ですか?」
「色々あって――今はまだ会える状況じゃないけど、でも元気になったらまたお店に行くって。アキさん言ってた」
あいりの報告に衣咲の表情がぱあっと明るくなる。話を聞いていたのか、カウンターでマスターが安堵の笑みを浮かべていた。
マスターに特別に奢るから何でも頼んで、と言われたのであいりは牛タンシチューを二つ頼む。すると衣咲が口を挟んだ。
「マスター、盛りつけ、私がやっていいですか?」
「いいよぉ」
マスターの返事に衣咲はご機嫌顔でカウンターの奥へ入っていった。皿を二枚出しシチューを盛るとあいりたちの前に差し出した。
が――
「え?」
あいりと甲斐は絶句する。同じものを頼んだはずなのに、あいりはなみなみと注がれた大盛りで、甲斐のは皿の半分以下の量。
「あのさぁ、いくらなんでも差がありすぎじゃない? 私、こんなに食べれないんだけど」
「そんなこと言わずに食べて下さいよぉ。衣咲の気持ち受け取ってください」
「あのね、甲斐くんがいなかったらアキさんの居場所も分からなかったし助け出すこともできなかったの。盛るなら私と同じ量を甲斐くんに出しなさい」
「そんなのわかってますよぉーだ」
そう言って衣咲は口を尖らせると、奥の冷蔵庫から冷えたアイスをもうひとつ出し、私のおごりですと言って甲斐の前に置く。甲斐は思わず苦笑した。
一方、あいりは何かを思い出したようにあ、と呟く。
「中上さんにもお礼を言っておかないと」
「いや――あの人は僕から言っておくんでいいです」
「へ」
「あの人に関わるとろくなことがないんで。瀬田さんは近づかないで下さい」
「そうなの?」
「そうです」
「でもあの人、今後何度か関わるかもしれない、って言ってたわよ。つうかあの人何者? 甲斐くんの先輩って言ってたけど何処の配属?」
「それは――」
甲斐が何か言いかける。するとその前にあいりの携帯が鳴った。相手は課の上司だ。
調書に何か書き損じでもあったかと思い、電話に出る。しかし話の内容は全く別だった。管内で強盗殺人事件が起きたらしい。
「わかりました。今そちらに向かいます」
あいりは食事に手をつけることなく席を立つ。大股で一歩二歩、と歩いた後であ、と呟いた。
「甲斐くん、あなたの出番だから」
「ふぇ?」
大盛りの皿に手をつけた甲斐に事件が起きたの、とあいりは説明する。ほおばった肉を完全に咀嚼したあとで、甲斐がえーっ、と声を上げた。
「まさか。死体とかありませんよねぇ?」
「さぁそれはどうでしょう?」
そう言って首を横にかしげるあいりに何かを察したらしい。甲斐がぶるぶると首を横に振る。
「僕、嫌ですからね。あとで美味しい所とか綺麗なお姉さんの所とか連れていってくれるって言っても、ぜーったい現場には行かないんですからっ! というかいい加減、普通でいさせてくださいよーっ」
「はいはい。愚痴はあとで聞くからねー」
あいりは事務的に答えると、甲斐の襟首をむんずと掴み引きずっていく。いーや―だと叫ぶ甲斐の声が店の中に無情に響き渡ると、二人はいずこへと消えて行った。(了)